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Chapter35 『ミシャクジの神』
   社の沢で千里たちと別れた日の正午頃、貴幸は中央道小牧ジャンクション付近を東へひとり車を走らせていた。葛城山中の脱出劇からまったく休息はとっていなかったが強靱に鍛えられた貴幸の肉体にはまったくと言っていいほどダメージはなかった。
 レンタカーのナビTVからは、今朝突然葛城山に出現した怪獣と自衛隊との交戦をレポーターが興奮した声で実況している。画面にはイリスとリガートの戦闘がリアルタイムで鮮明に映し出されていた。その映像をチラチラと横目でうかがいながら貴幸はアクセルを踏み続けた。

   目的地は長野県諏訪市、貴幸はある重要な約束を綾奈から託されていた。助手席のシートの上に無造作に置かれたバックの中から、50cmほどの古い布製の袋がのぞいている。かなり古いものらしく、色あせてところどころ朽ちてはいるが袋全体に金糸で不思議な文様が刺繍されている。間違いなく社の沢の柳星張の祠から消失した十束の剣だった。

   貴幸の脳裏ではイラクからの帰国途中、綾奈から聞いた不思議な運命の話がグルグルと繰り返し再生されていた。
「もうすぐ現世の存亡にかかわるような大きな禍が訪れる。そうなる前に阻止するのがあなたと私に課せられた運命…」
「なぜそれが俺の運命なんだ。おれは祖国を守るために戦う義務はあったが、それ以上でもそれ以下でもない。おれにそんな大それたことができるはずがない」
「それはもう遠い過去のこと、あなたは13年間あなたであってあなたでなかった。あなたの中にもうひとりのあなたがいたのよ。それはあなたとはまったく違うあなた…」
「この世界には私たちの存在する宇宙とまったく別の宇宙が互いに重なり合いながら無数に存在している…そしてその世界にはそれぞれ姿も運命も違うもうひとりの自分がいる」
「南の空に赤い星、天津甕星(あまつみかぼし)が現れるとき永遠に交わることのない異世界を距てる結界が力を失い、それぞれの境界が曖昧となりお互いに干渉し合ってしまう。あなたの世界現世エンと井氷鹿の世界幽世クルは今ひとつに繋がっている」
「13年前、あの事件の後のあなたは井氷鹿の世界のあなた…そうこの世界の高来貴幸は13年間自分の体の中で眠っていたのよ」
「そして私も柳星張の社でもうひとり私と入れ替わった。幽世では私と井氷鹿は母子、私は井氷鹿の娘出石(いずし)…」
   表情ひとつ変えず淡々と話している綾奈の横顔を思い出す。貴幸は額から流れ落ちた汗の冷たさまで鮮明に記憶していた。

   諏訪市に到着した頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。貴幸は周辺を注意深くうかがいながら諏訪大社本宮の裏山にある旧宝殿へ小走りで向かっていった。
 諏訪大社の祭神は建御名方神であるが、古くは出雲系の建御名方ではなくミシャクジ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるという説もある。
  柳田國男はミシャクジ神は大和民族以前の先住民族の神、大和民族と先住民族を距てる塞の神=境界の神であると考察している。

「やっといらっしゃいましたね」
 灯りもなく、真っ暗な旧宝殿の前で、宮司の白装束をまとったひとりの老人が貴幸を待っていた。
「出石の命を受けてやってきました。約束のものをお貸し頂けますでしょうか」
 貴幸は深く一礼すると丁寧に老人に問いかける。
 老人はかなりな高齢と思われるが長身で矍鑠としたたたずまいであった。白髪が月に光にぼんやりと輝いている。
「あなたがお持ちの証を拝見できますかな」
 貴幸は右手に持った古い布袋を差し出した。老人はそれを恭しく受け取ると軽く一礼し無言で社の中へ消えていった。  

   どのくらい時間が経過したのだろう。ほんの数分が貴幸には永遠の時間に感じた。あせる気持ちを静めるため胸ポケットから取り出したたばこに火をつけてはすぐにもみ消す仕草を何度も繰り返していた。
 旧宝殿の中からは聞き取ることのできないようなかすかな声で祝詞のような言葉がもれ聞こえてくる。

   やがて木戸が静かに開くと、老人が旧宝殿の中へ貴幸を招き入れた。
「ここは蛇神ソソウ神が奉られた祠、世間一般には建御名方の父、大国主命の祭殿となっておるがの」
 うすぐらい蝋燭の光に照らされて異形の影がゆらゆらと揺らめいている。
「これは…蒼龍王…」
 かなりシンボル化はされてはいるが、たしかにあの禍々しい邪神の特徴が強調されたような妖気をまとった神像が貴幸を威圧するようにあたりを睥睨している。
 八束之岩屋に穿がかれていた無数の石像のレリーフに似ているようにも思えた。

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「これがソソウ神じゃ。ミシャクジ様の化身とも眷属ともいわれておる」
「お主にこれをお渡しするよう出石様から仰せつかっていた」
 老人は貴幸に十束の剣を返すと、邪神像の前に奉られた著しく錆びて朽ちかけた1mほどの平たく長い棒上の供物を恭しく貴幸に差し出した。
「これはその剣の剣身じゃ。永劫の時を重ねこの地に結界を結び禍津神を封印してきた。しかし天津甕星が現れたいま、その力およばず禍津神が復活した。ふたつに別れた剣が一体とならなければもう現世を守ることができない」
「この錆びた剣がいったいどうすれば一体になるというのですか」
 老人はだまってソソウ神像が手に掲げている球状の物体を慎重に手に取った。
 それは長い年月で表面が変色しているため最初はなにか判らなかったが、老人に目の前に差し出されると鈍く青く光る珠であることが理解できた。
「蒼霊珠…」
貴幸はうめくようにつぶやいた。
「それはときが来れば判る。それを持って禍津神を封印するのじゃ」
「あなたはいったい…」
「私の名は守矢轍齋、いにしえよりこの社を守ってきた。もうこれで私の役目は終わる。早く行きなされ。すでにときは満ちている。これを託す者はあなたの身近にいる」
 貴幸は暗く細い山道を転がるように下ると、路側に無造作に止めてあった車に飛び乗った。

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謎の神ミシャクジさま登場
挿絵の石像がないのでピンチヒッターで『婆羅陀巍山神』に登場してもらいました
蒼龍王に似て無くもないでしょ

ミシャクジ神もソソウ神も実際に諏訪地方に原始宗教として存在した神らしいです
井氷鹿(井加里姫)の娘は葛木出石姫といって
『天孫本紀』という文献に登場するそうです
兵庫県丹後地方の出石に関係あるのかなぁ~
父は天村雲命、八岐大蛇のシッポから出てきた
天叢雲剣(草薙剣)を人格化した神ですね
なかなか古代の浪漫でしょ~
あくまで素材ですから設定とかはめっちゃ適当ですけど~ダハハ

これからしばらくはちょっと時間をさかのぼって
いままでの伏線を少し整理したいと思います
そうしないとどうやってつじつまを合わせるか終わりが見えてきませんから~

まだまだしばらくは終わりそうにないですね
お付き合いよろしくお願いいたしま~す